ATOMIC CAFE @ FRF '18
© Photo by Mari Onoda

7.27 (FRI)

7.28 (SAT)

7.29 (SUN)

 7月27日(金)・28日(土)・29日(日)、新潟県の苗場スキー場でフジロック・フェスティバル'18が開催された。今年もアトミック・カフェはアヴァロンでトーク&ライブを企画。3日間ともたくさんのお客さんで賑わった。3日間通してのMCは津田大介さんが行った。
 初日はトークゲストに星田英利さんが登場。3.11の際の東京電力福島第一原発事故を受け、SNSで自らの意見を積極的に発信。今でも社会問題について積極的に自分の考えを述べている。考えていた以上に、自分の発言に影響力があると知った星田さんは芸名の「ほっしゃん。」から本名へと「改名」。個人として意見を発信することにしたそうだ。それでもタレント仲間からは「やめておけ」という声は止むことはなく、タレントとしての仕事は減ったという(現在は俳優として活動中)。言うまでもなく、どんな立場の、どんな職業の人間であれ、社会問題に対して意見を発信するのは当たり前のこと。そこへバイアスがかかったり、仕事から外したりすることの方が問題だ。東京電力福島第一原発事故と向き合えば、批判の声が出てきて当然。自民党政権はじめ原発マネー(税金)を当てにしながら原発を推進する企業のバイアスによって声が上げられない状況はむしろ日本の危機といっていい。そのなかで星田さんは、ひとりの人間として、一市民として声を上げることを選択した。星田さんは「仕事仲間は減ったかもしれないが、人間としての仲間は増えた」という。また星田さんは他人の評価があまり気にならなくなったという。この場合の「他人」とは、逼迫した状況下におかれながらも政府や官僚や東京電力に忖度する人たちのことを指す。本音を言えなくなった人たちの星田さんに対する評価は本当の評価とはいえるのかどうか。星田さんの発言は市民の本音。星田さんがバッシングされるのは本当のことを言われると政府の政策が破綻してしまうからだ。日本の原発政策はもはや「裸の王様」だ。星田さんは最後に「せっかくフジロックに出演したのだから歌をうたって帰りたい」と言って、歌(校歌)を披露してくれた。
 初日のライブステージには片平里菜さんが登場(ゲスト:TOSHI-LOWさん、細美武士さん)。彼女はそれまでの所属事務所を辞めてひとりで活動を始めたばかり。その最初のステージとなった。福島出身の彼女は今も福島に住んでいるという。学校を卒業後、学生時代の友人とは普通は同窓会とか成人式で会うもの。ところが彼女は甲状腺の検査で会ったという。そのエピソードを悲しさとやるせなさをにじませながら話してくれた。「原発事故を通して生活と政治は密接に結びついていることをあらためて実感した」とも。「故郷を思ったときに原発があった方がいいのかない方がいいのか(答えは)すごくシンプルだと思う」という言葉がすべての国民の気持ちを表していたのではないか。
 ではどうやったら原発は止まるのか? その疑問に答えてくれたのが2日目(28日)のトークゲスト木村草太さんだ。憲法学者の立場から「脱原発を憲法改正で発議して、国民投票に持ち込めばいいのではないか」という案を提示した。そこに至るまでのプロセスでクリアすべき課題もあると思うが、もし本当に脱原発を目指すのであれば、これほど有効な手段はない。こういう憲法改正なら賛成だ。ついでに書くと「憲法のどの部分をどう改正するのか」ということが大事であって、護憲か改憲かという二元論で収まるものではない。
 原発以外の話題では、杉田水脈議員が『新潮45』に寄稿した「LGBTは生産性がない」という記事について言及。「人間を生産性で測ってはいけないというのが国是であり、それは憲法にも明記されている。議員は国是に従う義務がある。人間は生きてることが素晴らしい」と憲法学者の立場から杉田議員を批判。「もっと怒りの声が上がってもいいのに、国民が糾弾しないのは、安倍政権、自民党に対するそもそもの期待値が低いからではないか」という持論を展開した。公文書改ざんの問題については「国会の業務妨害」、米軍の基地は「自治権の剥奪につながる」などなど憲法という視点から社会問題をわかりやすく読み解いた。その中で、興味深かったのが「市民運動やデモ」に関しての見解。木村さんは「もしも市民が声を上げずに共謀罪が難なく通っていたら、もっと簡単に使われていただろう」と指摘。「市民が声を上げたからこそ権力側も共謀罪を自由に使うことができないでいる」という見解を示した。
 このことに関しては、29日のトークゲスト加藤登紀子さんが「勝ちはしなかったが負けていない」という表現を使って評価した。「もしも脱原発の声を市民が上げなかったら、国は見境なくどんどん再稼働をしただろう」というのだ。「もしも戦争法案を何の抵抗もなく通したら、今頃、安倍政権はやりたい放題だったろう」と。特別ゲストの元SEALDsの奥田愛基さんを前に「たしかに選挙では勝ちはしなかったかもしれない。しかし負けはしなかったのだ」と力説した。加藤さんは「現代の日本は国の体制が破綻しているのに、太平洋戦争のときと同じように、日本は形だけを維持しようとしている。国家は戦争において手詰まりになり、特攻を命令するなど、何度も国民を見捨てた。それをまさに繰り返そうとしている」とも発言。「戦争も原発も国は負けたときの解決方法を考えていないのだ」と指摘。問題が起こったときに、負の部分と向き合おうとしない政府の体質を批判した。たしかに不良債権を抱えたときには不良債権を不良債権として受け入れないと解決法は導き出せない。汚染水はコントロールできる、アベノミクスで経済は復活する、といった勇ましい号令では、汚染水や経済の問題も解決できない。ちょうど同じ時期に久米宏がラジオでこう言った。「もしも1945年5月に日本が戦争をやめていれば、何十万何百万の日本人の生命が救われた。特攻もやらなくてすんだし原爆も落とされなかったし北方領土もとられなかった。当時の国の指導者たちはその判断ができなかった。誰が国の指導者をやるかというのはとても大事だ」。お友達に税金を振る舞い、豪雨の予報を無視し酒をくらい、カジノ法案を通す「国の指導者」はどうなのか。
 アトミック・カフェの3日間は「市民が声を上げること」についてそれぞれのトークゲストが言及した時間になった。星田英利さんは声を上げずにいられないという自分の衝動に正直になり、木村草太さんは市民が声を上げることでブレーキがかかると言い、加藤登紀子さんは選挙で勝ちはしなかったが、市民が声を上げたことで負けてはいない、と言った。
 オリンピックまでにコントロールすると世界に宣言した汚染水の問題も解決には至っていない。高速増殖炉もんじゅ事業は破綻し、核燃料サイクル政策を支えていた一番大きな幹が倒壊。日米原子力協定も期限を迎え、どちらかの国が「終了」を通告すれば終わり。日本は「プルトニウム保有国」という負債だけを背負い、瞬く間に世界から疎まれる存在に。原発事故で避難した方々の声は切り捨てられるなか、フクイチを訪れた人のために原発グッズ作りに精を出す。政府は原発に税金を注ぎ込み再稼働を目指し、世界中のマネーが再生可能エネルギーに流れている現実に目を瞑る。本来なら原発関係者は原発を廃炉にするための技術力の育成にシフトしていくべき。どうやって原発を推進するかではなく、どうやって止めるかに注力すべきなのに、ベースロード電源という文言にしがみついている。それに対して市民が、デモでイベントでSNSで声を上げるしかない。
追記:28日のライブは巻上公一さんとPIKAさん(あふりらんぽ)、29日は加藤登紀子さんがそのままパフォーマンスを披露した。
(森内淳)