The Atomic Cafe Talk&Live @ 下北沢シェルター

01.15 (WED)

  • The Atomic Cafe Talk&Live @ 下北沢シェルター
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アトミックカフェの第2弾イベント@下北沢シェルター。「1984年ザ・アトミックカフェ開催から30年」ーこれまでの反原発・これからの脱原発ー。「雪が降るかもしれないという天気予報のせいで場内閑散としていたが、中身は濃かった。本当に手前味噌だが、アトミックカフェのイベントは毎回面白い。今度、ポッドキャストにアーカイブしようと思う。自分自身、毎回、目ウロコだし、いろんなことを深く考えるきっかけになっている。しかもカジュアルな雰囲気でそれがやれている。アトミックカフェのメンバーも「いいイベントだったなあ」としみじみ自画自賛。ということは、このイベントは続ければフジロックのアトミックカフェと同じくらいに面白い啓蒙・啓発イベントに育つと思う。しつこくやっていこう。

今回のパネラーは大久保青志(ザ・アトミックカフェ)、ミサオ・レッドウルフ(首都圏反原発連合)、鈴木南兵衛(アースガーデン)、羽仁カンタ(アシードジャパン)の4人。どうして国民の7割以上がもう原発はいらないといっているのに、それが政治に反映されないのかというのが今日の大きなテーマ。

まずは日本人の政治にコミットするときの抵抗感が取り上げられた。

羽仁さんはカジュアルにデモをやろうということで、デモという言葉を使わないでピース・ウォークという名前のデモを始めたという。言うことはいうけどやり方はハードにしないというアプローチで親子連れでも政治にコミットできるという雰囲気を作りたかったそうだ。鈴木さんも同じく過去にエネルギーシフトパレードを仕掛けた。このときもデモという言葉を使わずに、エネルギーシフトを表明するパレードという位置づけで、気軽に誰もが参加できる雰囲気を作った。鳴り物を鳴らしながら歩くサウンドデモというスタイルをも取り込んで、いかに既存のデモと違う流れの表現を作るかを模索したそうだ。

では、なぜデモという言葉を使うと誰も参加したがらないのか、いつそういうことになってしまったのか。60年代から70年代のデモは、既存の政党が大衆運動を作ってきたのが原因だという意見が大久保さんから出た。たしかに昔のデモは、市民発というよりも支持母体の旗がずらりと並ぶような組織発の色合いが濃かった。そういったものが日本のデモを定義付けて、市民をデモから遠ざけたのかもしれない。

ミサオ・レッドウルフさんはそういう傾向も3.11以降に変わったのではないかという。ご存知のように首都圏反原発連合が主宰している金曜日の首相官邸前抗議や国会包囲デモは20万人もの人が参加した。たしかにここに集まる市民は「デモに参加する」という意識でやって来ている。組織の代表として、あるいは一員として参加しているのではなく、個人として参加している。それこそ老若男女、サラリーマンからミュージシャンまで国会に足を運んでいる。明らかに市民の気持ちは変化している。

ミサオさんがデモにこだわるのは、市民の最大限の意思を可視化するからだと考えているからだ。デモには法律を変える力はないが、政治に参加する機会を作る「底上げ」にはなっていると語る。実際、このデモを目の当たりにした小泉純一郎氏が脱原発に乗っかってきたのは紛れも無い事実だ。今回の都知事選の動きもデモがあったからこそだ。小泉氏にどういう思惑があるのかはわからないが、大衆の力が政治を動かしたと言っていい。

しかしながら、現実問題として、市民運動と政治の分断はあるという問題提起もなされた。デモやフジロックでは盛り上がるが、政治に直結しないジレンマを抱えているのも事実だ。羽仁さんからは、例えばアメリカではミュージシャンが特定候補の応援で演奏したり、平気で政治の話を公にする。そういう意味では、誰を応援するというところまでニュートラルに話せるところまで持って行きたい、という話もあった。一方、ミサオさんからは、ある特定候補を応援すると、デモが機能しなくなる部分もあるので、そこは参加者の意思に委ねるという意見も出た。あえて特定候補の何かを仕掛けるより、シンプルな器を用意するだけで、あとは無党派であるというスタンスを打ち出すのも大事だという話にもなった。それはおそらく「場」の性格によって棲み分ければいいわけで、どちらの意見も正しいのだろう。

今後の課題はいかに投票行動を促し、投票率をあげていくかということになりそうだ。羽仁さんも言っていたが、投票率が80%を超えたら、結果がどうであれ、それは「民意」ということになる。現状は民意とはかけ離れたところで政治が動いている。何十万人のデモ参加者の意思を投票行動に直結させるということが次の段階でのキーになってきそうだ。

そこで鈴木さんから「せんきょCAMP」の例が紹介された。とくに若者の投票率を向上させること、参加型民主主義を実際にカタチにしていくこと、政治全般に対する入り口を作ろうという目的で、カフェなどで落ち合い10人程度で選挙について話そうという自主企画型の小規模なトーク・イベントだ。その輪は全国に広がっているという。その進化形が三宅洋平氏が選挙のときにやった「せんきょフェス」になるそうだ。渋谷ハチ公前に簡単な舞台を作って、そこで三宅氏を応援するミュージシャンや文化人が歌をうたったりトークを行った。今回の三宅氏の健闘を考えると「せんきょフェス」のような行動の積み重ねや大衆への着飾らない呼びかけが確実に効果を上げたことがわかる。

そういう意味では政治にコミットする風景はじょじょに変化していっているのかもしれない。ピース・ウォーク、エネルギーシフト・パレード、サウンド・デモ、金曜日デモ、フジロック・フェスティバル、(手前味噌だが)アトミックカフェが培ってきたもの、参加した人達の意識の変化がじょじょに効果として表れてきているのではないかという手応えはある。例えばFacebook上の都知事選に関する侃々諤々の論議を見ているだけで、そう思ってしまう。一昔前はそれにすら「見えないバイアス」がかかっていた。

この日のイベントでは、1984年に日比谷野外音楽堂で行われたアトミックカフェ・フェスティバルの模様(記録映像)が会場に流された。後半では、昨年、雨のフジロックを盛り上げてくれたリクルマイ・バンドの演奏が披露された。

アトミックカフェのスタートから30年、より大衆に寄り添ったかたちで、誰もが参加でき、誰もが投票行動に結びつくような場を今後も提供していくのがぼくらの役割だと再確認した。生きて生活している以上、ぼくらは政治とは切っても切り離せないのだから。アトミックカフェのトーク&ライブ・イベント、今後も続けていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

テキスト・写真=森内淳